日本を代表する経営者特集 「星野リゾート 星野佳路」
リゾート運営のエキスパート
星野リゾートは、2015年に創業100周年を迎えました。
長野県北佐久郡軽井沢に本社を置く、総合リゾート運営会社です。
経営不振となったリゾート施設や旅館の再生を行う事で知られています。
星野リゾートの歴史
星野リゾートは、軽井沢に隣接する佐久の地で、生糸業を営んでいた初代経営者である星野国次が、別荘地として知名度が上がりつつある軽井沢に目を付けたところから始まります。
当時、軽井沢の温泉が保養の重要要素になると考え、1904年に星野温泉を開始し、そして1914年に星野温泉旅館を開業した事が星野リゾートの始まりといわれています。
そして、1921年から始まった芸術自由教育講習会がこの星野リゾートで開かれるようになり、内村鑑三、与謝野晶子、島崎藤村、北原白秋といった文化人が軽井沢の地に訪れるようになります。
また、星野エリアは世界的にも多種類の野鳥が生息する宝庫である事が判明し、これが切っ掛けで「国設軽井沢野鳥の森」と指定されるようになりました。
そして、高度経済成長に伴い国内旅行が全盛期となり、軽井沢は多くの観光客が訪れる場所に変わります。
1987年には、リゾートや旅館の新規参入が増えるようになったので、星野リゾートはこの契機をチャンスとみて経営方針を移行したと思われます。
企業ビジョンはリゾート運営の達人と設定し、お客様の満足度を重視しながら充分に利益を出す事のできる運営の仕組みづくりに取り組むようになります。
そして1995年には株式会社星野温泉から株式会社星野リゾートに社名変更をし、2001年からはリゾートや旅館の運営事業の取り組みの他、その土地独自の価値観、生態系、文化を守りながら時代にマッチしたサービス提供を行っています。
星野佳路という人物
星野佳路は、1960年に長野県軽井沢町に生まれます。
経歴は1983年に慶応義塾大学経済学部を卒業し、1986年には米国のコーネル大学ホテル経営大学院修士課程を修了します。
そして1987年にアメリカの日本航空開発株式会社に就職をするのですが、1989年に父親に呼び戻されて星野温泉に戻り取締役に就任します。
しかしその半年後、父親と意見の対立があるという理由から退社しています。
同年には再度渡米し、シティバンク銀行で職に就いたのも束の間、再度父親に呼び戻されて帰国します。
そして星野温泉に入社し、31歳の時に株式会社星野リゾートの社長に就任しました。
星野佳路は、2003年に国土交通省より第一回観光カリスマに選定されたり、2010年には第23回日本メガネベストドレッサー賞経済界部門賞に選ばれた経歴を持っています。