経営の神と呼ばれ、私たちの生活を豊かにする家電を広めた松下幸之助

経歴、実績

近年は中国・韓国の企業に押され、日本の製造業の力に陰りが見えるようになってきました。
昔は家電・自動車など数々の製造業で、その生産性と品質の高さから日本の製品はメイドインジャパンというブランドとして人気を博し、世界の消費者から支持されていました。
その中心的役割を果たしたのが、大手家電メーカー松下電器産業(現パナソニック)で、この企業を一代で日本一の家電メーカーへと築き上げたのが松下幸之助氏です。
松下幸之助氏は1894年に和歌山県に生まれましたが、幼少の頃は家庭が貧しく、尋常小学校を4年で中退し丁稚奉公として住み込みで働きに出されました。
火鉢店・自転車店での丁稚奉公を続ける中で少しずつ商才を磨いていた、と想像できます。

16歳のときに大阪に初めて導入された路面電車に感動して大阪電灯(現関西電力)に入社し、在職中に電球の取り外しや交換が容易な電球ソケットを考案しました。
1917年に大阪電灯を退職後、考案した電球ソケットの製造販売事業を妻や友人と共に創業し、当初は売上が伸びず倒産の危機にも直面しましたが、二灯用差込プラグ・アタッチメントプラグが世間から注目されてヒットしたことで、事業は軌道に乗り始めます。

事業拡大と共に松下電器器具製作所を現在の大阪市福島区に創業させ、1925年にナショナルの商標を使用し、乾電池の製造販売で売上を伸ばして松下電器製作所へと再び社名を変更しました。
その後は現在の本社がある大阪門真市に本社工場を移転させ、この移転を契機に松下電器産業として法人化を果たしました。
松下氏が創業した松下電器が残した実績としては、日本全国にナショナルの家電品を販売する小売店をネットワーク展開したことです。
ナショナルショップと言われるこのシステムは、その後は東芝や日立などの大手家電メーカーも取り入れることになったのは周知の通りと思われます。
1970年の大阪万国博覧会には、松下電器館として出展したタイムカプセルが注目され松下館は大盛況となり、最大入場まで2時間待ちで話題を呼んでいます。
ナショナルが世界のナショナルとして大成功を収めたのは、松下幸之助氏の類まれなる商才と努力の結果であると考えられます。

高機能・高品質な家電は私たちの生活を豊かにする。

有名なことがら

商売人として技術者として大変優れた才能を持たれていた松下幸之助氏ですが、経済界への貢献に留まらず現役の経営者として引退した後、別の分野で多大な貢献をされています。
松下氏は1973年に80歳を迎えた年に相談役へと退き、経営の一線から引退をしました。
その後は1979年に、自身の私財70億円を投じて松下政経塾を立ち上げます。
この松下政経塾は、氏が1989年に94歳で天寿を全うした後も親族によって運営は継続され、多くの優秀な政治家を送り出しています。
民主党政権最後の首相となった野田佳彦氏、元神奈川県知事松沢成文氏、自民党元政調会長高市早苗氏など、政経塾出身の国会議員は数しれません。

また1960年代に安売りで業績を伸ばしたダイエーとの家電品安売りを巡る確執が、ダイエー・松下戦争と呼ばれて大きな話題となりました。
松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれるほど優れた経営術を、パナソニックで発揮されました。
僅か2畳の小さな工場からスタートし、今では年商が何千億円にも上る巨大な製造メーカーにまでパナソニックが拡大したのは、松下氏の失敗を恐れず諦めない心があったからだと思われます。
今では大手製造業では当たり前になっている事業部制を考案し、1933年には早々と導入したところなどは、先見の明があったと容易に推察されます。
一代で会社を立ち上げた経営者は、会社全体を全て自らの力で動かそうとしますが、全体を一人で動かすことは現実的には不可能です。
松下氏は若いうちから人に任せることで意欲を持たせ、人材を育成することにも秀出ていたと考えられます。

有名な言葉、座右の銘

松下幸之助氏は伝説的な経営の神様とも呼ばれ、現在でもたくさんの人がその経営哲学に心酔していますが、数々の名言は今も日本中の経営者にとって教訓として扱われています。
松下氏が創立した松下電器では、今でも受け継がれる7つの精神というものがあります。
この7つの精神とは、「企業は人なり」という幸之助氏の信条から考えられた言葉です。
「産業報国の精神」、「公明正大の精神」、「和親一致の精神」、「力闘向上の精神」、「礼節謙譲の精神」、「順応同化の精神」、「感謝報恩の精神」になり、それぞれの漢字を読めば意味は一目瞭然とも言える素晴らしい言葉です。

また仕事における考え方として、松下氏が語られた有名な言葉もあります。
「すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば必ず上手くいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。」
この言葉は、稲盛和夫氏の「利他の心」に影響を与えたものとも思われ、偉大な経営者は自分のためではなく多くの人のために何かをする、という考えを持っていることが伝わってきます。
「自分の仕事は人の助けなくして一日も進み得ないのである。」
この言葉も、自分だけでなく人との協力が仕事を成功するために欠かせないものである、ということを証明しています。
「仕事には知恵も大事、才能も大事。
しかしもっと大事なことは些細と思われること、平凡と思われることも疎かにしない心がけである。」
足元を見つめて基本を疎かにしない精神が重要である、ということが伝わってきます。
松下幸之助氏の有名な言葉に隠れる思いをしっかりと心に刻むことが、立派な社会人への第一歩であると考えられます。