70歳になっても衰えぬ好奇心。日本発の世界的メーカー創業者についてお話します。

経歴、実績

戦後の日本が復興するためには多くの人の努力が欠かせませんでしたが、この時期には優秀な技術者と素晴らしい経営者が多数誕生しています。
経営者として素晴らしい才覚を見せたのが松下幸之助氏だとすれば、技術者として日本を世界に認めさせたのが本田技研を創業した本田宗一郎氏と、SONYを創業した井深大氏と盛田昭夫氏の二人です。
中でもSONYの創業者の一人でもある、井深大氏について紹介します。
井深氏は1908年に栃木県で生まれましたが、早くに父親を亡くし、3歳を前に愛知県安城市に引越しを余儀なくされます。
1933年に早稲田大学理工学部電気工学科を優秀な成績で卒業しましたが、在学中に光るネオンを発明するなど、既にその才能の一端を垣間見せていたと思われます。

卒業後「PCL(現東宝)」に入社し、電気工学の才能を遺憾無く発揮していきます。
戦時中には日本軍向けに周波数選択継電器の開発に着手、この開発は海軍において大きな成果を上げました。
海軍の将校として敗戦のときを迎えた井深氏は、米軍の完全武装の装甲車を見て科学技術の差を痛感し、自らの技術や知識で日本を立て直すことを目指した、と推察されます。

1945年の10月には、早くもソニーの前身「東京通信研究所」を創業しています。
翌年には株式会社化し、海軍時代に出会った盛田昭夫氏を営業部門の担当として迎えます。
当初は従業員約20人の小さな工場としてスタートしましたが、1950年には小型のテープレコーダーの開発や販売で大きな成功を収めます。
そして当時は実用化不可能と言われていたトランジスタの国内生産を成功へと導き、トランジスタラジオ1号機発売を契機に、「SONY」という商品ブランドを初めて使用しました。
トランジスタ生産の技術を活かし、ポケットラジオ・トランジスタテレビなどの開発を次々と行い、ソニーを超一流のオーディオメーカーへと導きました。
その後もトリニトロンテレビ・ウォークマンなど数多くのヒット商品を生み出し、世界のソニーへと生まれ変わらせた業績は大変素晴らしいものである、と考えられます。

有名なことがら

ソニーと言えば世界でも有数のオーディオメーカーとして、日本国内で知らない人はいない有名企業です。
そのソニーを世界に知らしめた大ヒット商品は「ウォークマン」ですが、この誕生には当時名誉会長職にあった井深大氏の要望があったと推察されます。
1979年にウォークマンは正式に販売をスタートしましたが、それ以前からソニーでは持ち運びに便利な小型のテープレコーダーを開発・販売していました。
ソニーはオーディオメーカーとして、モノラルではなくステレオで聴ける持ち運びタイプのテープレコーダーにこだわりを持ち開発しました。
「このウォークマンという商品は若者にヒットする」と、井深氏と当時会長だった森田氏は共に確信し、僅か4ヶ月で商品化して発売に踏み切りました。

4ヶ月という短い開発期間になったのには、若者がターゲットと考え、春休み・夏休みよりも前に発売することを両氏が望んだから、と思われます。
同時期に同社内で超軽量の小型ヘッドフォンの開発に成功していたことも、ウォークマンがヒットする大きなサポートになりました。
ウォークマンという名称は、ソニーがウォークマン以前に発売していた小型テープレコーダーのプレスマンをヒントに、歩きながら音楽を自由に楽しめるイメージとして名付けられたと考えられます。
このウォークマン開発秘話の中で素晴らしいことは、井深氏の好奇心が70歳の年齢になっても少しも衰えを見せていなかったことです。
井深氏の熱意に負けず、商品化を推進した盛田氏も当時は60歳前でしたが、この二人の熱意が商品化するまでの開発・販売部門の不安を払拭し、その後は数多くの商品を展開する大ヒットシリーズへ導いたと思われます。

オーディオメーカーとしての人気は、国内のみならず海外でも非常に高い。

有名な言葉、座右の銘

井深大氏が創立したソニーは、オリジナルの新しいシステムや技術をたくさん生み出してきた企業として、世間では「技術のソニー」と呼ばれています。
ソニーの「人のやらないことをやる、他より一歩先んじる、最高の技術を発揮する、世界を相手する」という社是は、電機業界では広く知られています。
井深氏は、その長い人生の中で様々な名言を残しています。
「人生で出会う出来事はすべて何かを教えてくれる」
人間は、生きている間に様々な出来事に遭遇します。
良いこともあれば悪いこともあり、悪いことが続くと現実から逃避したくなるものです。
しかし、その悪いことに向かっていくことで多くのことを学ぶことができる、ということを教えてくれます。

「アイデアが重要ではない、一つのアイデアをどうやって具体的にしていくかが重要である」 
この言葉は、技術者であると同時に経営者として手腕を発揮された井深氏ならでは、と思われます。
アイデアが重要であることはもちろんですが、そのアイデアを具現化して商品にするプロセスをしっかり考察することがもっと重要である、と教えてくれます。
「日本初、世界初のものを創ってこそ、人より一歩先に進むことができる」
この言葉は、トランジスタラジオを日本で初めて生産し、世界最小のヘッドフォンプレイヤーウォークマンを生産へと導いた井深氏らしい言葉です。
他のメーカーが作ったことのない商品の開発は、実際には簡単ではありません。
その困難に向かっていこうとする、ソニーの素晴らしさを表しています。
「この人にはこれだけしか能力がないと決めつけては能力を引き出すことはできません」
これは人材育成に悩む、企業の経営者や管理者に伝えたい言葉です。
初対面での印象や少し一緒に仕事しただけの少ない情報で安易に人を判断していては、その人の本来の能力を引き出すことはできません。
多くの優秀な人材を送り出しているソニーの創業者ならでは、の言葉だと考えられます。